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人間は、誰でも等しくいつか必ず死ぬ。多くの人々は、この当たり前の事実を日々、黙殺するかのように生き、死の直前に何が起きるかということを具体的にイメージする機会はなかなかない。ところが事故や病気などでリアルな死を意識せざるを得なくなると、途端に慌て、さまざまな対策が後手にまわっていることを知る。
東京・東小金井の「日本歯科大学 口腔リハビリテーション多摩クリニック」はそんな人々を支援する画期的なコンセプトのもと設立された。フォーカスしたのは「食べる機能」の低下である。人間は人生の最終段階で、多くの場合、食べる機能すなわち摂食嚥下(えんげ)機能が低下する。端的に言えば、思うように食べられなくなるのだ。こうした患者の機能低下に向き合い、「食べる」という生きるうえで、人生を楽しむうえで欠かせない行為を取り戻してもらおうという取り組みについて、クリニックを主宰する菊谷 武院長に話を聞いていく。
菊谷 武
口腔リハビリテーション多摩クリニック院長

日本歯科大学口腔リハビリテーション多摩クリニック院長、日本歯科大学大学院生命歯学研究科教授。摂食・嚥下リハビリテーションを専門とし、クリニックでの診療、訪問診療のほか、地域社会への情報提供、各地における介護ネットワークづくりに尽力する。

医療が行き届かない部分に光を当てたい

「私たちが支えたいのは、たとえば87歳で認知症とか、84歳でパーキンソン病とか、94歳で足腰が弱くなってしまったという方やその方の介護をする人たち。こういう人たちにはさまざまな身体的、心理的問題が生じるわけですが、このクリニックでは”食べる”ことに特化して支援しているんです。なかには余命が残り少ない方もいるのですが、そうした患者さんに対して”食べる”と側面から支援する制度や医療機関は非常に手薄い状態。ならば私たちがサポートしていこうという動機でクリニックを設立しました」
患者やその家族が体感するのは、一度に食べる量が減少したり、安全面を考慮して食べられる食事が制限されたり、食事に要する時間が長くなるといった事象。こうした事象によって低栄養状態となり、さらなる免疫力低下や肺炎のリスクなども高まる。加えて低栄養状態に陥ると筋力低下を免れず、嚥下障害のリスクが高まってしまう。

「摂食嚥下障害になれば、食べられる食事の種類が制限され、食べる量が少なくなります。また、誤って気管や肺に食べ物が入ってしまえば、誤嚥(ごえん)性肺炎の危険性も高まる。これは高齢者の死亡原因のなかでも上位に位置する病気なのに、これらのリスクを回避するということに特化した医師や医療機関は少ないのが現状です。こうした部分に多くの医療機関や医療従事者が注目していかなければ、現状は変わっていきません。誰だって生きている間は、食べたいものを食べたいでしょう。適切な対応を取ればこの”食べられる期間”を長くすることができるんです」

普通食を食べられない患者にはどんな食事が適切なのか?

クリニックで行うのは摂食嚥下に関するリハビリテーションや栄養指導、口腔ケアや食の情報提供など。介護者はここで、嚥下障害の患者に適切な食の知識を得ることで、より質の高い食事を提供できるようにもなる。歯茎や舌で食物をすり潰す力があるか、飲み込む力や食べ物を喉に送る力があるかなど、実は患者によって嚥下障害の状態は多様。ゆえに当然、適切な食の形態はオーダーメイドの発想で対応すべきなのだ。そこでクリニックではきめ細かい食の提案や嚥下調整食や介護食の販売まで行っている。
クリニック内の売店には介護食がずらりと並ぶ
 
キッチンスペースでは講習会も実施される
 
「嚥下障害の患者にとって適切なのは”まとまりの良い食”とか”噛まなくてもよい食”。でも、ある日突然、患者のためにこれらの食事を3食作ってください、なんて言われても普通、出来ないですよね(笑)。また、ソフト食って言われてもなんのことか分からない。つまりクリニックで食べやすい食を提案するだけではなく、在宅における介護を支援するのも私たちの役目です。嚥下障害の患者用にやわらかい食事を作るキットややわらか食が販売されていることすら、一般にはあまり知られていませんし、レシピにしても広く認知されていない。大きいキャベツは食べられそうにないから、細かく刻んでおこうというだけでは、患者がかわいそうでしょう」
食の内容とともに、食のバランスを考案するのもクリニックの仕事だ。たとえば三食すべてが患者用の食事だった場合、そのうち一食は普通食にしてみる。あるいは5品あるなかで一品だけ普通食を入れ込むなど。こうした工夫を採り入れることによって患者は少しでも、食べる喜びを感じられるかもしれない。これらは、個々の患者の状態を把握できる医師がいなければ、不可能な工夫でもあるのだ。

死の直前に食べるスプーン一杯の価値

嚥下障害の患者を支援するには、医師や医療機関だけの努力では良い結果はでない。そこには必ず、多職種との連携、地域との密接な関わりが求められる。ゆえに、在宅患者の家に訪問するのも菊谷医師の仕事のひとつ。複数の専門家で構成される支援チームの一員となって、患者の食を支えるという取り組みにも力を入れているという。
「時には、全く食べることができなかった人に、さまざまな工夫の末に食べることがかなったとしても、患者の認知レベルが低い場合、”嬉しい”とか”美味しい”と言ってくれないことがあります。でも、だからといって無駄な行いではないと思っています。本人はどこかで食べることを喜んでくれていると思っていますし、食事を食べられないのはかわいそうだと感じている家族や介護者は、その一口に感動してくれます。そういう支援者に満足してもらうことも私たちの役割なのです。たとえば毎日、介護で苦労している家族は、患者をよそに自分たちだけ食事をするということに引け目を感じている人は多いのです。患者に対して様々な工夫を提案し実践することで、家族が安心したり、救われたりといったケースは非常に多いのです。結局、亡くなる直前に1さじ、食事を提供しただけだったとしても、そのことがあったからこそ家族や介護者は納得して送りだすことができるかもしれない。そう信じて、私たちは日々、努力を続けているんです」
菊谷医師が強調するのは、人の終末期には食べられない時期がある、という当たり前の事実。この事実を知ったうえで、個々の患者にとって最適な食を提供する必要性を多くの人があらためて感じてほしいと力説する。こうした思いから地域住民に向けた公開講座を不定期に開催。食べることへの支援の中身について、実習などを用いながら、幅広い認知を目指しているという。
「食の支援に関し、知らない方が圧倒的に多いというのが実感。でも、講習などでその事実を知ると多くの人が強い興味を覚えます。つまりこれまでこの分野の情報を広く公開されてこなかったということでしょう。赤ちゃんが離乳していく過程、固形食を食べるようになる過程などの情報は多く手に入りますが、体の弱った方が徐々に食べられなくなってきて、それを受け入れながらどう工夫すればいいのかといった情報はとかく置き去りにされがちなのです。ですから私たちは、患者と対面しながら食のサポートをすると同時に、こうした情報提供にも力を入れていかなければなりません」

確実に広まりつつある摂食嚥下障害の知識

菊谷医師らのチームが主導して作り上げたWebサイト「食べるを支える」もその取り組みの一貫。Webサイトの立ち上げ支援をソフトバンクが担当し、引き続き運営も担当している国内でも屈指の情報量で、嚥下障害患者の食についての情報を発信中だ。
「嚥下調整食・介護食の食形態検索サイト」食べるを支える
http://www.shokushien.net/login
「患者のそばにいる家族だけでなく、管理栄養士や介護支援専門員にとっても有益な情報を掲載しようと努力しています。摂食嚥下やこれによる栄養低下を改善できる介護食が置いてある近くのお店や、自分に合った食を提供してくれる宅配食の会社や介護・病院施設が検索できるようになっているのです」

言ってみればこれまで日の当たらなかった部分に、光を当てようとする試み。その歩みはまだ始まったばかりだが、現段階でも、情報提供の効果を実感できると菊谷医師は満足そうに笑う。最後に、白衣ではなくカジュアルなポロシャツ姿で診療に向かう理由について聞いてみた。
「ほとんどの場合、無地のポロシャツですね(笑)。患者の家に訪問することも多く、そんな時、白衣とかスーツ姿の人間がゾロゾロ押しかけていっても、患者は落ち着けないですよね。私たちの役目は、患者に美味しくご飯を食べてもらうこと。だから白衣じゃない方がいい」

最期の瞬間まで美味しいものを食べたいというのが、人間本来の欲求だろう。そんな当たり前の状態を可能な限り長く維持するべく、クリニックの取り組みは進化していく。「食べる」という喜びを最後の最後まであきらめる必要は、決してないのだ。
■食べるを支える

2016年に「嚥下調整食・介護食の食形態検索サイト」としてオープンした「食べるを支える」。オープンにあたり、菊谷医師が協力してくれるパートナーを探していたところ、ソフトバンクに声がかかった。
ソフトバンクでは、システムやデザインの設計から開発などを行い、構築を支援。オープン後もWebサイトの運用や機能・コンテンツの充実などの活動を通じて、地域の医療・介護ネットワーク作りの支援を行っている。
関連リンク
 
口腔リハビリテーション多摩クリニック
http://dent-hosp.ndu.ac.jp/nduhosp/tama-clinic/
 
食べるを支える
http://www.shokushien.net/
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